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2025.1.1

「良々塾」は難しい?!

あけましておめでとうございます。
 
2024年大晦日にこの記事をアップして、旧年の御礼と新年のご挨拶に
させていただこうと思っていましたが、慌ただしくしているうちに
年が明けてしまいました。
 
良々塾を耕し直すと決めて早三月(みつき)、まずはここ十年ほどの間に
公私にわたることで草臥(くたび)れきった、この我が心身を立て直すことから、と
思いつつ、動画配信とブログは続けようと思っております。
 
2019年に塾を立ち上げた頃から、面白いと言って集ってくださる方々が
おられる一方で、さまざまなところから、ずっと言われ続けてきたことがあります。
 
〈難しい〉
 
「こんな難しいことに興味のある人なんて、いるんですか」
「内容が難しすぎる、もっと敷居を低く、とっつきやすく」
 
もう、あちこちで、言われる、言われる。
 
ただ、どれだけ言われても、これに応えることが難しい。
 
なぜなら、「もう一人の自分」がいて、それが常に動画配信や授業などに参加しているのです。
 
この「もう一人の自分」が、内容にOKを出すか否かが、どうしても気になる。
 
動画配信などでも「これはもう有料級の内容ですよ、こんな濃い内容を普通に配信するのは
もったいない」と、それ自体「もったいない」お言葉を頂戴することしばしばなのですが、

「もう一人の自分」の眼から見れば、「有料級どころか、こんなに薄くて浅くてごめんなさい」としか言えない。

「知、というだけでアレルギーが出る人がいるのですから、もっと配慮して、易しく、気軽に、

広く浅くやった方がいいですよ」と言う方もおられますが、それを有り難く受け取りつつも
「敢えて意識的に〈敷居を低くする〉ことはしない」と思う自分がいます。
 
優れた音楽の演奏や美術の表現に技術が必要なのと同じように、知を以て世界の事象を捉えるにも技術が
必要です。そして、技術を持たない聴き手であっても、優れた音楽や美術のみがもつ「なにか」に感動するように、優れた知の「使い方」に接して「これは面白い、すごい、なにかを感じる」という人々がたしかにいるはずで、私は良々塾の出発点をそこに賭けたい、という思いがあります。そのためには、まず発信する側である私自身が差し出すものが、できうるかぎり最上の「知のパフォーマンス」でなければならない。それは大変なことであり、日々手探りというしかありませんが、試み続けるしかない、という思いでいます。
 

ありがたいことに、動画配信を続ける中で、こうした私の「試み」を、さまざまなかたちで受けとめてくださる方がおられるようで、そうしたコメントに出会うごとに、強く励まされる思いがして本当に有り難く、心強く思います。中でも「先生の話はまるで長野まゆみの少年アリスや銀河鉄道の夜の授業で聴く話のようにロマンティックで美しい」と書いてくださったものがあって、私が意図している「知の語り」の姿の一つを可視化してくださったようで、大変嬉しく思いました。

いつの時か、テーマも忘れてしまったけれど、しばしの時を純粋に知的好奇心の赴くままに話に耳を傾け、想像力の翼をはばたかせるうちに、日常生活の頸木(くびき)から解き放たれて精神が自由に闊歩、飛翔した、その愉しさがあらたな心の活力となり、自分の精神世界を広げ、強くするきっかけとなった。「良々塾」の動画配信や、これから準備していくさまざまなコンテンツがそのようなものであるように、と願っています。

 
新たな年を迎え、「耕し直し」もそろそろ具体的な段階に移るタイミングかと感じています。
着実な歩みをしていきたいと思います、どうぞ、新年も「良々塾」を何卒よろしく見守っていただけますよう、お願いいたします。
 
謹賀新年/Happy New Year ! / Bonne année! 
 
良々塾主宰 山田 良

投稿者:Yamada Ryo